子宮筋腫って切らなくてもいいんだ~子宮動脈塞栓術(UAE)体験記

2013年2月多発性子宮筋腫のため子宮動脈塞栓術(UAE)を受けました。
筋腫と診断されてから手術を経て現在に至るまでの私の体験記録です。
当時の日記やメモ、記憶を頼りに1年たった今ようやくブログにすることができました。
自宅から遠く離れた病院だったのでお出かけ気分も満載!?

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内膜症治療は妊娠への近道かも

腹腔鏡検査の後は、傷痕がかなり痛く…。検査前には「切ったら痛い」なんてことを全く想定していませんでした。下着のゴムのラインと傷の位置がかぶっていて痛いし、くしゃみとか咳とかは傷に響いて恐怖だし、笑うのも我慢。1cmほどの傷×2か所とはいえ、お腹を切るというのはこういうことなのかと、終わってから痛いほど思い知らされるた…痛いほど、じゃなくて本当に痛かった。なんで前もって想像できなかったのか不思議。

傷が痛いのはそのうち治まるけど、子宮内膜症は治療しなければどんどん進行していくもののようで…。

内膜症は生理周期に合わせて子宮の外に飛び散った内膜が増殖するから、増殖させないためには妊娠するのが一番の治療になるんだけどね、と痛い前置きに続き、O先生から今後の治療方法の説明あり。妊娠しなかったからお腹を切ってまで検査したんじゃないですかー(泣)

そこで、生理を止めて、体内を妊娠したのと似た状態にするのが偽妊娠療法、閉経と同じような状況にするのが偽閉経療法。偽閉経にも、点鼻薬によるものと内服薬によるものがあり、私の場合は治療の期間と効果を考えてボンゾール内服による偽閉経療法を6か月行う、と。閉経と同じ状態なので、更年期の症状が出るかもしれないが、治療後は妊娠の可能性が上がる、こんなような内容だったかな。先生の話を聞きながら、更年期の症状は出てほしくないなあ、にせものでも「妊娠」ってついている方が嬉しいのになあ、なんて思ったものです。

かくして、検査後最初の生理が来るのを待って、内膜症治療開始。治療開始前は一日でも早く妊娠したいと思っていたので、6か月がやたらと長いような気がしていたんだけど、服用を始めたらすぐに排卵がとまって生理はもちろん変な出血も全くなし。妊娠するとかしないとか何も考えなくてよくなって、正直、気が楽になった。更年期症状も特にでなかったからかもしれない。ただ、服用を始めてすぐにドッカーンと体重が増えたのだけは参った。これも薬の副作用だったのかな?

途中、腫瘍マーカーCA125の検査を2回ほどして、内膜症の状態を確認し、ボンゾールの服用は5周期で終了。服用が終わったら、今度はいつ生理が戻ってくるのかドキドキする生活に戻り…服用終了から1か月半ほどで高温期になり、排卵が確認されたところで内膜症治療終了=不妊治療再開となったわけです。

以前と同じ治療に戻ったけれど、内膜症を治療したという変な自信と、治療中の気の抜けた生活が功を奏した(?)のか、不妊治療再開から4か月後になんと妊娠判明。29歳の秋。

「(内膜症)治療後は妊娠しやすくなるというのはホントなんだなー」あの時の先生の呟きは忘れませんけど。

私が妊娠できたのは、たまたまそんな機会に恵まれたのだとは思いますが、子宮内膜症が見つかったのも治療したのも「回り道は近道」だったのかも。何が幸いするかわかりませんね。

腹腔鏡検査で得たものは

腹腔鏡検査は、検査と名前がついているけれど手術みたいなものです。4日間入院で、手術同意書も書くし、何よりほんの数cmとはいえお腹を切開するわけですし。

当日の朝入院し、午後から検査。初めての入院だったけれど、「検査」という名前からかお気楽な私、恐怖心もなく病院へ。手術室へ入る時にようやく、「これは大変なことなのかも」と緊張し始め…。

検査は腰椎麻酔で。麻酔の際、看護師さんから「体は動かさないで」と言われたのに、注射された瞬間勝手に体がビクンと反応。「動かないでって言ったでしょ!針が変なところに行きますよ!」とものすごい剣幕で怒られて、撃沈。肩から痛み止めの注射を打たれてからは…気が付いたときは病室!?

目が覚めたら、おしっこの袋ついてるけど、いつの間にされたんか?おまけに足が重い。ベッドの上なのに、足だけ地面にめり込んでいるような、コンクリートで固められたような感覚。でも全く動けなくて、ナースコール。看護師さんに畳んだ毛布をふくらはぎの下に挟んでもらい、麻酔が切れるまで何とかしのいだような…断片的な記憶です。

検査では、左卵巣を中心に赤紫色の斑点(ブルーベリースポット)が広がっていて子宮内膜症と確定、検査の際に処置できる範囲のことは全部行ったと、あとで先生から説明してもらった。

不妊につながるような病気がみつかったことがショックで落ち込んでいた私に、声をかけてくれたのが同室入院の皆さん。婦人科の4人部屋で、私以外の3人は30代後半~40代前半、おそらく子宮か卵巣の病気で摘出手術などを受けていたんだと。これは想像だけど。

「病気が見つかって、ラッキーだったね。病気を治したら、また頑張ればいいじゃない。まだまだ若いんだからチャンスはいっぱいあるし、これからだよ。私たちは子どもには縁がなかったけれど、こうして夫婦2人で仲良くいられるし、いつまでも新婚みたいでしょ?これからもずっと変わらないよ。仮に子供に恵まれなくても旦那さんとずっと仲良くしていけばいいんじゃない?それも悪くないと思うよ。でも、私たちの分も頑張って。かわいい赤ちゃんがやってくるといいね。」

私は自分のことしか考えてなくて周りのことなんて全く目に入っていなかったのです。同室の皆さんも、ここに至るまでたまらなく苦しい時もあったはず。なのに、笑顔がキラキラしていて、お見舞いに来た旦那さんともいつも楽しそうに過ごしていて。こんな風に励ましてもらうなんて思いもしませんでした。いつまでもクヨクヨしている自分が恥ずかしかった。というか、子供でした。みなさんの思いに応えたい、と。

あの日励ましてくださった皆さん、本当にありがとうございました。あの時、腹腔鏡検査を受けて、内膜症が確定したことはもちろん大事なことだけど、なにより勇気を与えてくれた皆さんとの出会いがなければ、その後の治療もくじけていたかもしれない。

この時もらった勇気が、私が自分の体験を書こうと思った原点かもしれません。UAEを受けた記録も、私の体験を通じて誰かに少しでも勇気が届けられれば、と思っています。

不妊治療時代

R病院では当時4~5名の産婦人科医が常駐していたように記憶しています。私を担当してくれたのはひょうひょうとした雰囲気のO先生。冬場、長袖のYシャツを着ているのに、その上の白衣はいつも半袖、とちょっと不思議な感もあったけれど。O先生にも長い間お世話になりました。

R病院に移ると、クロミッドに加えhCG注射による治療を開始。試しにhMGを使ってみたら、卵巣が腫れすぎたのでこれは一度きり。結局、クロミッドとhCGでの治療が1年近く続くも何もなし…。卵管の通りを確認するため、卵管通水検査を受ける。受けただけでも卵管の通りがよくなって妊娠しやすくなるかもしれない、と言われたけど、検査の結果はあまりパッとしなくて、その後子宮卵管造影検査へ。

子宮卵管造影検査では、エックス線透視をしながら子宮頸部から子宮内に造影剤を流し込み、その様子をリアルタイムに観察することで、子宮内側の状態や、卵管の疎通性、卵管周辺の癒着などがわかるようです。先生から、「結構、痛いですよ」とは聞いていたけれど、本当に痛かったー。造影剤を通すのも、それまでの下準備も。検査後も出血があったりと、なかなかなものでした…。検査した日は、ぐったりだったなあ。

検査の結果も痛くって。右側卵管はかろうじて通っているけれど、左側は癒着ありで閉塞ぎみ、左卵巣(右も?)に子宮内膜症の疑い。うん?内膜症って生理痛がひどいんじゃなかったっけ?本人に自覚症状なし。先生からは、内膜症かどうかは腹腔鏡検査をしないと確定できない、と言われたような記憶が。

いろいろ悩んだ結果、卵管造影検査から3か月後に腹腔鏡検査を受けることに決める。28歳の秋。
ギャラリー
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プロフィール

はおん

ディズニーと手作りが大好きなヒツジさん。
事務系のお仕事してます。

2012年10月子宮筋腫発覚
2013年2月子宮動脈塞栓術(UAE)を受ける。
UAEを受けた時、45歳。

ヒツジさんの夫、ウシさん・ヘビさんの娘2人と
石川県中央部で生息中。

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