子宮筋腫って切らなくてもいいんだ~子宮動脈塞栓術(UAE)体験記

2013年2月多発性子宮筋腫のため子宮動脈塞栓術(UAE)を受けました。
筋腫と診断されてから手術を経て現在に至るまでの私の体験記録です。
当時の日記やメモ、記憶を頼りに1年たった今ようやくブログにすることができました。
自宅から遠く離れた病院だったのでお出かけ気分も満載!?

2015年06月

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体質(たち)の正体

ずいぶん前から振り返りましたが、、ようやくここで自分のの正体判明!?

UAE前あたりには生理周期は25~26日とまた一段階短くなっていたんだけど、UAE後はさらに短くなって24~25日周期に。これは年齢的なことだから仕方ないのかなあ、とは思っていたけれど、いつものごとく茶褐色のダラダラ出血が早々からやってきて、今回はさらに早まりそうな予感。ますます、出血していない期間が短くなってきた。

吉野内先生に聞いてみました。

基礎体温は高温なのに出血するのは排卵後の卵巣機能が弱いか内膜不安定のいずれかなんだそうです。そして、私はどちらにも当てはまるのではないかとのこと。高温期の終盤に内膜が持ちこたえられずに出血してしまう状態なんだそう。

だから、まだ高温期なのに生理になってしまってというか、内膜が崩落してしまうのか。それから、追っかけ低温期になるような事態が毎月発生しているってことみたい。分かりました。

昔から黄体機能不全とよく言われたけれど、それってずっと変わってなかったってことなのかも。

それを4年前の診察では「」と簡単にやっつけられていたけど、説明するの面倒くさかったんだろうね。

結局、術後8回目の生理は前回から22日でやってきた。ずいぶん早くなっている。これだけ早まると出血のない期間がますます短くなる。ダラダラ出血も別に放置しておいて問題ないようだけど、黄体ホルモンで整えることができるとのこと。

ちょっと落ち着かせたい。そんなわけで、次回からは黄体ホルモン剤を服用することに決めた。

アラフォー辺りで

2回目の出産以降は、まあ毎月やってくるものぐらいと、生理をあまり意識しない生活になって、あれだけ通い続けた婦人科とはすっかり疎遠に。36歳で受けた子宮がん検診の次は41歳の検診まで行かなかったなあ。

私は、若いときから、毎月生理が始まる数日前から少量の出血がある人でした。だから、まあ、こんなもんかなあと思っていたけれど、40歳頃からはわずかな量とはいえダラダラ出血の始まりが早まってきて、「これって、大丈夫なのかな?」と本当は毎月気にしてました…。それに、周期も26~27日とちょっとずつ短くなってきたので、ナプキンの要らない日が少なくなってきて、ますます煩わしくなってきていました。

41歳で受けた人間ドックでは、子宮頸がんは問題なし。それでも、ちょっと気にかかるので、検診を受けた勢いでようやく婦人科の診察を受けようと決心、Fクリニックへ。その時のことは前にも少し触れてます。念のため子宮体がんの検査をして、そして診察の結果N先生の口から出た言葉は「うーん、こんななんだよ。面倒ならホルモン剤出すけど」

えっ、そんな?それなら、ダラダラ出血していてもおかしくないのか?
異常でないのはよかったけれど、体質っていわれて、う~ん、納得したような、しないような…。

それよりも、「筋腫の芽が1個や2個じゃない、たくさんあるよ」とこの時初めて聞かされてビックリしたんだった。

2か月前、R病院の婦人科で受けたがん検診の際には何にも言われなかった。R病院でも診察してるはずなんだけどね。 

出産×2回、その後の生理

妊娠中や出産は、大事になるような事態もなく、どうにかその日を無事に迎えられました。妊娠から母乳育児終了までの2年近くは、生理のことなどすっかり忘れてましたが…やっぱり戻ってくるんですねー。ないと困るけど。出産後は、だいたい28~29日周期に落ち着き、出血量も以前より少なくなったかな。それでも、決して調子が良かったということはなく、ちょくちょく不正出血があって、婦人科には仕方なく時々足を運び…の繰り返し。

ある時、これはちょっとヤバいかな、みたいな不正出血で自宅近くのFクリニック受診。先生は、早口で何やら説明して薬を出してくれたけれど、全貌をつかめないまま話は次の段階へ。「出産してから3年以上経っているけど、次、考えてないの?前に内膜症の治療したって?今もまだ(内膜症)残っていそうだから急がないと。この薬飲み終わったら、(不妊)治療に入るよ」

出血より不妊治療の話?ひとり生んで安心してたけど、そう言われればいつの間にか歳月が過ぎている…。でも、ちょっとあおりすぎじゃない?内膜症もまだあるって?先生の言葉に焚きつけられて、「また治療するかぁ…」と考える。もう一度治療する覚悟を決めたところで、生理がこない。これってひょっとして!?

2人目は何ともラッキーなことに妊娠を意識した瞬間にやってきたのでした。先生もビックリの陽性判定。授かりものなんだなあとつくづく実感。直前に飲んでいた薬の影響だけはずっと気がかりで、何もなく生まれてきたことに本当にホッとしたものです。

2人目の時も、妊娠から母乳育児終了までの2年近くは、生理はお休みでした。再開した生理は28~29日周期、量も1人目出産後と同じぐらい、出産する前に比べるとずいぶん少なくて楽になった。前は内膜症のせいで多かったのかもしれない。

量が多いとか少ないとかは、誰かと比較できないから、どれくらいが普通なのかよくわからないですね。ある時点と比べて多いか少ないかでしか自分では判断できないし。多くなった(少なくなった)方がいいのか、悪いのか、どうなんだろう。急に量が変わったらおかしいと思うけど、徐々に変化していると気づきにくいものかも。

内膜症治療は妊娠への近道かも

腹腔鏡検査の後は、傷痕がかなり痛く…。検査前には「切ったら痛い」なんてことを全く想定していませんでした。下着のゴムのラインと傷の位置がかぶっていて痛いし、くしゃみとか咳とかは傷に響いて恐怖だし、笑うのも我慢。1cmほどの傷×2か所とはいえ、お腹を切るというのはこういうことなのかと、終わってから痛いほど思い知らされるた…痛いほど、じゃなくて本当に痛かった。なんで前もって想像できなかったのか不思議。

傷が痛いのはそのうち治まるけど、子宮内膜症は治療しなければどんどん進行していくもののようで…。

内膜症は生理周期に合わせて子宮の外に飛び散った内膜が増殖するから、増殖させないためには妊娠するのが一番の治療になるんだけどね、と痛い前置きに続き、O先生から今後の治療方法の説明あり。妊娠しなかったからお腹を切ってまで検査したんじゃないですかー(泣)

そこで、生理を止めて、体内を妊娠したのと似た状態にするのが偽妊娠療法、閉経と同じような状況にするのが偽閉経療法。偽閉経にも、点鼻薬によるものと内服薬によるものがあり、私の場合は治療の期間と効果を考えてボンゾール内服による偽閉経療法を6か月行う、と。閉経と同じ状態なので、更年期の症状が出るかもしれないが、治療後は妊娠の可能性が上がる、こんなような内容だったかな。先生の話を聞きながら、更年期の症状は出てほしくないなあ、にせものでも「妊娠」ってついている方が嬉しいのになあ、なんて思ったものです。

かくして、検査後最初の生理が来るのを待って、内膜症治療開始。治療開始前は一日でも早く妊娠したいと思っていたので、6か月がやたらと長いような気がしていたんだけど、服用を始めたらすぐに排卵がとまって生理はもちろん変な出血も全くなし。妊娠するとかしないとか何も考えなくてよくなって、正直、気が楽になった。更年期症状も特にでなかったからかもしれない。ただ、服用を始めてすぐにドッカーンと体重が増えたのだけは参った。これも薬の副作用だったのかな?

途中、腫瘍マーカーCA125の検査を2回ほどして、内膜症の状態を確認し、ボンゾールの服用は5周期で終了。服用が終わったら、今度はいつ生理が戻ってくるのかドキドキする生活に戻り…服用終了から1か月半ほどで高温期になり、排卵が確認されたところで内膜症治療終了=不妊治療再開となったわけです。

以前と同じ治療に戻ったけれど、内膜症を治療したという変な自信と、治療中の気の抜けた生活が功を奏した(?)のか、不妊治療再開から4か月後になんと妊娠判明。29歳の秋。

「(内膜症)治療後は妊娠しやすくなるというのはホントなんだなー」あの時の先生の呟きは忘れませんけど。

私が妊娠できたのは、たまたまそんな機会に恵まれたのだとは思いますが、子宮内膜症が見つかったのも治療したのも「回り道は近道」だったのかも。何が幸いするかわかりませんね。
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プロフィール

はおん

ディズニーと手作りが大好きなヒツジさん。
事務系のお仕事してます。

2012年10月子宮筋腫発覚
2013年2月子宮動脈塞栓術(UAE)を受ける。
UAEを受けた時、45歳。

ヒツジさんの夫、ウシさん・ヘビさんの娘2人と
石川県中央部で生息中。

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